三重城
那覇市
遠くにいる人へ愛を届ける場所
☆
那覇市ロワジールホテル裏にある史跡『三重城』。ここはかつて琉球の人々にとって、外敵からの襲来から身を守る護衛の場所であり、また薩摩や中国へ旅立つ愛する家族や恋人を見送る別れの手を振る場所でした。現在でも拝所としてなくてはならない場所であると同時に、ここを舞台とした情緒的溢れる物語が残っています。
赤犬子の碑
読谷村楚辺 赤犬子宮境内
三線の始祖を奉った宮
☆☆
三線の始祖といわれる赤犬子を奉る赤犬子宮。ここは人々の拝所として昔から愛されてきただけではなく、三線愛好家が訪れる参拝所でもあります。赤犬子は、伝説上の人物ではありますが、植物の幹と茎、馬のしっぽで三線が考案されたのは、この地が発祥だといわれています。
恩納なべの碑
恩納村恩納
女流歌人恩納なべが詠んだ唄
☆☆
恩納村出身の有名な女流歌人「恩納なべ」。実在していたという証はありませんが、歌の内容などから、琉球王朝(尚敬王:1713〜1751)時代の人物ではないかといわれています。恨む比謝橋の吉屋チルーと共に、2代女流歌人と並んで称されています。彼女が詠んだ琉歌は他にもたくさんありますが、歌碑として有名なのは、ここで紹介する2箇所です。
仲順流れ
中頭郡北中城村字仲順60
学者仲順大主の黄金の物語
☆☆☆(仲順公園を探せばすぐ分かるので、普通に見つけられる。)
エイサーではかかせない曲である「仲順流れ」。 実は、北中城村の学者であった仲順大主にまつわる、『黄金の話』が舞台です。浄土宗の伝えた念仏が孝行話としてそのまま引き継がれたのだろうと思わせる、琉歌とは一味違うスタイルと言えるでしょう。
瓦屋(からや)節
沖縄県那覇市牧志1丁目
引き離された家族への恋いをうたった唄。
☆☆☆☆☆(かなり探すのは困難)
瓦などの沖縄の陶芸の始まりは、首里城下からだとされています。朝鮮や中国から渡ってきた陶工が王府ご用達の品を製作し、その技術を後世に伝えていったそうです。那覇市中心部にある小高い丘の上に、国の陶業の発展のため、国賓扱いの外国人陶工に強要された沖縄女性の悲歌が伝わっています。
伊野波(いのは)の石くびり
国頭郡本部町字伊野波260
石ころ道で若い恋人達が詠んだ歌。
☆☆(案内も出ているので比較的探しやすい)
琉球古典音楽、琉球舞踊、どちらにおいて大作といわれている「伊野波節」。男女の恋の歌だというのは有名ですが、本部町伊野波に実際の舞台となった石ころ道が、かろうじて残っています。外灯もない時代、夜中にこんなに険しい道を通るのはどれだけ困難なことだったでしょうか。愛しい彼女となら難儀な道でも長く続いてほしい・・・と、ロマン溢れる話です。







