| 瓦屋(からや)節 | ||||||||||
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瓦屋つぢのぼて 真南向かて見りば 島ぬらる見ゆる 里やみらん 瓦屋(窯)の近くの丘に登って、我が家のある南の方を見れば、島の故郷は見えるものの、愛しい人の姿は見えない。どうしているのだろうか・・・。 |
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沖縄の陶芸、やちむんの始まりは、首里城下を中心に栄え、特に朝鮮・中国からの陶工が活躍したそうです。瓦屋節の背景には、その朝鮮人陶工に強引に添わされた美しい人妻の物語が伝わっています。 瓦屋節に出てくる朝鮮人陶工の名前を張献功(ちょうけんこう)だと言われています。豊臣秀吉の朝鮮出兵に参加した諸大名が、競って陶工を連れて帰り、藩内の陶業を興した話は聞いたことがあるかもしれません。張献功もその一人で、彼は1617年、尚寧王に招かれて琉球へとやってきて、王府ご用達品を製作かたわら、若者たちに壺の焼き方を教えたりしていました。 ある日、首里郊外を散歩していた張献功は、美しい女の人を見染めました。是非とも我が嫁にしたいと、王府に願い出ました。調べると、その美女は人妻で子供までいるため、王府は、あきらめるよう説得しましたが、張献功はかたくなに聞き入れませんでした。「あの女を妻にできないのなら国へ帰る」という始末にまで発展してしまいました。王府としては、陶磁器や瓦の製造技術を受け継ぐまで、彼には居てもらわなくてはなりませんでした。そこで、国のためにと彼女に因果を含め、夫や子供から引き離し、強引に張献功の妻にしたのでした。 美女は、国賓扱いの彼のもとで、なに不自由ない生活を送ったのですが、別れた夫や子供への想いは日に日に募るばかり。陶工の目を盗んでは、小高い丘に上り、故郷の方を見つめ、愛しい夫や家族のことをうたったのが、この瓦屋節の唄です。 また、この陶工は、張献功ではなく、沖縄で最初に瓦を焼き、その技術を後世に残した中国からの帰化人である、渡嘉敷三良だという説もあるほか、この唄には、土地、時代、人物それぞれにおいて、違った物語が伝えられているため、本当のことは定かではありません。いずれにしても、人妻の悲歌であることは、間違いないでしょう。
参考文献 |
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投稿者 : 月光 2009年06月07日 15:10
多分この物語はほぼ本当のことだと思います。でも確かに、人物の名前は違っているみたいです。昔の話なのですが、彼女は、中城の方に住んでいたそうです。今でも彼女の念は消えてはいないのです。話の続きがあります。彼女は、家族から引き離され、凄く悲しく、切なく、思い出さない日は、なかったようです。帰りたくても帰れないそんな気持ちだったんだと思います。いつしか彼女は、心に決めたのです。生きている間は帰ることが出来ないけど、死んで後は、自由になれる、それまで、ここで、死んであとは、中城の家族のもとに、と心に思ったそうです。ですから、いまは、お墓はここにあっても、彼女は、そこには、いないのです。残っているのは彼女の念です。物語では、悪く書かれている、彼も、誰にも、知られていない事情が、あるのです。彼は、琉球に来る前に一人の愛する女性がいたのです。一生を添い遂げようと、誓ったのです。でも、それと、同時に、国からの今で言う命令で、琉球にいくことになり、それと同時に、彼女は他の人との縁談が決まり、二人は、離されたのです。それで、彼は、琉球に、来て沢山の文化を伝え浸透してきた頃、ある場所で、彼女に瓜二つの女性に、会ってしまいました。続きがあるのですが、これぐらいで、終わりたいと、思います。作り話と思う人思ってもかまいません。でも、だれにも、知られていない話が、沢山あるん沖縄には、あるんでる。
投稿者 : まゆみ 2007年12月13日 21:55
渡嘉敷三良ってトカシキ サンラーですよね?
投稿者 : りんご 2007年12月13日 21:54
とっても悲しい歌なんですね。
沖縄女性が歌った唄は、悲しいものが多いですね。
何ででしょう??
投稿者 : がーる 2007年12月04日 19:05
耐え忍ぶ女性の姿がはっきりとイメージできる歌ですね。。
人妻、、あー人妻なのに・・・権力には逆らえない時代背景。悲しいものです。
投稿者 : ルビー 2007年11月28日 15:20
悲しい話ですね。
その時代の沖縄には、このような事がよく起こっていたのでしょうか。
お話の女性が丘から故郷を望む姿が目に浮かびます。