赤犬子の碑
赤犬子の碑
歌と三線の むかしはじまりや
いん子ねあがりの 神の御作
正式な翻訳なし
訳(推測):歌と三線の始まりは、赤犬子が奏でる音が始まり。まさに神の御作であろう。

読谷村楚辺にある赤犬子(アカインコ)宮というお宮があります。昔からアカインコゆかりの地として、地元の人々はここを拝所として利用していたものを、昭和31年にお宮として、鳥居や階段が作られ整備されたそうです。


赤犬子というのは、三線の始祖といわれている伝説上の人物です。沖縄最古の歌集おもろそうしの中には、赤犬子が三線弾きの役職で王府で活躍していたとされる内容が何箇所かにわたって確認できます。ですが、この琉歌の本当の訳は分かっておらず、「いん子ねあがり」の部分で各方面の意見が分かれているようです。「いん子音東」と捉えるか、「いん子音揚がり」と捉えるかという説がありそれぞれ意味も異なってきます。


お宮の階段の手前には、「歌と三線の むかしはじまりや〜」の歌の碑が建っており、階段を登り拝所横には、野村流古典音楽協会によって建てられた、


歌の道ひるく 世界に輝かち
犬子ねあがりや 末代までも
訳(推測):歌の道を広め世界に輝かせた
犬子の歌と三味線の音は末代までも続いて欲しい。

という、赤犬子を讃える内容の歌が刻まれています。


昔、屋嘉のチラーという村一番の美女の子供が赤犬子で、幼い頃から聡明で、青年期には持ち前の美声と音楽の才能を発揮して三線を考案したとされています。そのはじまりは、雨だれが滴れる「テントンテン」という音を聞いて三味線を考案し、棹はくばの葉の茎で、胴の部分は幹で、弦は馬のしっぽを使って三線をつくったと言われています。赤犬子の噂は、首里王府にも伝わり、尚真王のもとに仕え、音楽の勉強の為中国にも派遣されました。帰国後、各地で歌と三線を披露して回り、各地で敬愛されたそうです。


また、中国から持ち帰った麦や粟、野菜の種を楚辺にまいて、村は毎年豊作に恵まれたそうです。それ以来、読谷村の人々は、赤犬子を五穀の神としてあがめるようになりました。現在も読谷村が紅芋を始めとする、作物が豊富なのは、赤犬子宮のおかげでもあるのでしょうか。赤犬子宮は、地元の人々の拝所だけではなく、三線音楽の愛好家たちが参拝する場所でもあります。旧暦の9月20日には、毎年赤犬子祭りが模様され、宮内では古典音楽の奉納演奏が行われます。読谷まつりの日は、赤犬子様が読谷の地に戻ってくるという設定で、歓迎の宴として古典音楽大演奏会が催されます。


参考文献
『文歌碑めぐり』 垣花武信・東江八十朗著 那覇出版社


基本情報
琉歌 _里隼粟の むかしはじまりや いん子ねあがりの 神の御作
歌の道ひるく 世界に輝かち 犬子ねあがりや 末代までも
対訳 〔(推測)歌と三線の始まりは、赤犬子が奏でる音が始まり。まさに神の御作であろう。
¬(推測):歌の道を広め世界に輝かせた犬子の歌と三味線の音は末代までも続いて欲しい。
場所 読谷村楚辺 赤犬子宮
目印 国道58号線沿いの楚辺交差点を左折し6号線を2km弱ほど進んだところ
難易度 ☆☆
対策 蚊・虫よけ
赤犬子の碑 赤犬子の碑 赤犬子の碑
赤犬子宮 野村流音楽協会による
赤犬子賞賛歌
赤犬子(再現)
読谷まつりにて
主なアクセス方法

コメント一覧

I like this post, enjoyed this one thankyou for posting .

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Appreciate you sharing, great blog post.Thanks Again. Really Cool.

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赤犬子とは犬だとおもってました・・・。
大変勉強になりました!!
赤犬子宮近いうち行ってみます(^−^)

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