| 三重城 | ||||||||||||
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三重城にのぼて 手巾持上げれば |
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ロワジールホテル那覇の裏手にある三重城(みーぐすく)という史跡。意識してみない限り、見落とされやすいことが多い史跡です。ロワジールホテル周辺のほとんどが埋立地です。すぐ目の前に広がる広大な海には、泊港から行き来する船や外来船などさまざまな船が行き交い、那覇の港はとても賑わっていました。人々は、やってくる船を見ては帰港した家族を出迎えたり、お土産をたくさん積んだ唐からの帰還船を追いかけたり、また一方で旅立つ船をみては航海の無事を祈るのでした。 ロワジールホテル裏に史跡がある理由は、かつてここに三重城と呼ばれる長堤があったからです。那覇の港からしっぽのように長く伸びた堤防です。三重城は、16世紀、倭冠(西日本を拠点に出没した海賊)への防御の為に作られた防壁代わりのものだとされており、楚辺村の豪族王農大親(オーヌウフヤ)によって築かれたとされています。王農大親の一人娘は、尚清王の夫人となった人物であり、首里王府と関わりの深い豪族であったことが伺えます。三重城は、「王ヌ大比屋(おひや)城」とも呼ばれていたそうで、村落の長らしき威厳ある場所でもあったようです。 かつての三重城は、港全体を囲い込むように長く、途中に臨海寺というお寺がありました(写真下左)。臨海寺は、薩摩や中国へ行く船を見送る場所であり、尚寧王が捕らわれの身となり、薩摩へ連衡される際もこの場所で別れの手を振ったと言われています。当時の琉球では、最愛の人の旅立ちを見送る光景は、当時では珍しいことではなかったのでしょう。庶民の暮らしぶりをモチーフにした琉球舞踊「雑(ぞう)踊り」で有名な『花風』(写真下右)は、この三重城が舞台となっています。 琉球舞踊『花風』は、三重城に登って、旅立つ船を見ながら手を振り、愛する人との別れと航海の安全を祈る情緒溢れる、まさに当時の情景を物語る踊りです。『花』は、遊女のことを示しています。一人の女性が、日傘を片手に、もう一方の腕は目一杯にティサージ(手ぬぐいのようなもの)を振って愛しい人を見送るのですが、船の走るスピードは速く、一瞬で見えなくなってしまいます。 三重城は、時代と共に必要性をなくしてゆき、戦火が落ちる直前には埋め立てられていたそうです。当時の光景を復元したものが、読谷村にあります(写真下中央)。NHK大河ドラマ「琉球の風」のオープンセットとして復元されました。復元されたのは、三重城だけではなく、当時の那覇の町並みや久米村の武家屋敷など完全に消失された家屋とともに再現されました。これらは全て、読谷村のテーマパークでもあり村民の憩いの場でもある「むら咲きむら」でご覧頂けます。復元された三重城ですが、本物と比べれば、長さは短く、途中の臨海寺もないミニモデルではありますが、イメージはつかめるのではないでしょうか。 また、三重城の史跡に行くと、水の神として奉られている拝所があります。これは、かつて襲来から人々を守ったがゆえに名づけられた自然の神を表しているのでしょう。別れの地でもあり、護衛としての役割も果たしていたことからでしょうか、現在では、旅先や県外で亡くなった人の霊を拝む所であり、また、神や祖霊の場所が山や遠いところにある場合、三重城で遠くで守ってくださる霊を拝むこともあるそうです。
参考文献 |
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投稿者 : OOと 2010年07月07日 15:24
ウザい死ね
投稿者 : マンコ 2010年07月07日 15:21
もっと三重城について教えてください
もっと、もっと三重城について教えてください
投稿者 : パンダ君 2010年07月07日 15:18
三重城の、歴史は、すごい!!!!!!!もう少し調べたいと思えました
投稿者 : Anonymous 2010年07月07日 15:14
とてもわかりやすくてよっかったと思う
投稿者 : Anonymous 2010年07月07日 15:10
とてもわかりやすくてよっかったと思う