今帰仁城跡
今帰仁城跡
今帰仁城は14世紀から16世紀頃に築城されたと言われていますが、誰の手によって作られたかはまだわかっていません。標高約100mの琉球石灰岩の上にある山城で、その周りは断崖になっており、難攻不落の城でしたが、尚巴志によって1416年に制圧され、三山時代は終焉に向かっていくことになります。
基本情報
お問い合わせ先 今帰仁城跡管理事務所
住所 沖縄県国頭郡今帰仁村今泊4874
電話番号 0980-56-4400
FAX -
営業時間 7:00〜19:00
定休日 年中無休
備考 1972年5月15日 国指定史跡に指定
2000年12月 「琉球王国のグスク及び関連遺産群」として世界遺産に登録

今帰仁城は三山時代の北山王の居城で、尚巴志に侵攻されるまで、沖縄北部文化の中心地でした。奄美大島とも交易があり、現在の名護市以北の広大地域に影響を持っていたと言われます。
また、怕尼芝(はにじ)という北山王が現れてからはより勢力を伸ばし、明への朝貢も開始されました。尚巴志が侵攻を行った時の北山王は攀安知(はんあち)という王で、明えの朝貢記録も残っています。
尚巴志は北山を制圧後、今帰仁城に次男の尚忠を北山監守として置いており、今帰仁城の重要度がうかがい知れます。尚忠は、尚巴志の死後、第三代琉球国王として即位することになります。

難攻不落の城

3000名と言われる大軍勢で攻め入ったものの、元来、要害堅固を誇る今帰仁城は容易に落とせません。

そこで中山軍は一計を案じます。

攀安知の腹心の本部太原(もとぶてーはら)という者を寝返らせ、攀安知を陥れようとしたのです。
太原は、攻めあぐねている中山軍を、逆に城外に打って出て、追い散らしてみようと、攀安知にけしかけます。攀安知は、武勇の意気を示そうと、先頭に立って出て行き、中山軍を深追いするうちに今帰仁城から火の手が上がります。
太原の裏切りに気づいた時はすでに遅く、城内に導かれた中山軍は、これを陥落しました。攀安知は、謀反者・太原を斬り、グスクの守護を祈願していた霊石(金ヒャブ御嶽のご神体)も叩き斬り、自らも自害して果てたと言い伝えられています。

観光

今帰仁城はガイドの方も用意しています。今帰仁城で今も使える抜け穴を教えてくれたりと、ただ見ているだけでは分からないことなども教えてくれて中々お勧めです。また資料館や隣接する施設は、首里城を除けば世界遺産郡の中でNo1。資料館は是非のぞいてみてください。

今帰仁城跡 今帰仁城跡 今帰仁城跡
長く整然と続く石段 一番見ごたえがあります 現在も発掘作業が続いているため、資料も多いです 世界遺産なんです。
主なアクセス方法
1)お車の場合
沖縄自動車道許田ICから車で約45分
2)バスの場合
本部循環線65番・66番乗車
今帰仁城跡入口バス停下車、徒歩20分
沖縄県国頭郡今帰仁村今泊4874 (Sorry, this address cannot be resolved.)

コメント一覧

今帰仁城跡がこんなにすごい城だとは知らなかった!
行ってみたくなってきました。

今でも発掘作業が続いているとは、ぞくぞくしますねー。資料館興味あるので、今度の機会に!!!

ここは、桜の季節も最高にイイですよね。
ほとんど毎年、写真を撮りに行っています。

先日も行ってきましたが、やはり素晴らしい城跡ですね。
城上から見下ろす今帰仁の海と気持ちの良い潮風。15世紀に居るような錯覚すら覚えます。
2年ぐらいまでは、もう一つの玄関口がある志慶真門郭に行けませんでしたが、現在では行くことができます。
また発掘作業も続いているので、センター内で遺物を見る楽しみも増えてます。
暑さも落ち着いた今頃は最高に気持ちいいです!旅行時には是非!!

一度訪れたことがあるのですが、
ガイドがいるとは知りませんでした。
機会があれば、今も使える抜け穴を教えてもらいたいです。

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