座喜味城跡
座喜味城跡
座喜味城は15世紀の始め頃、築城の名手とも謳われた護佐丸によって築城された城で、琉球石灰岩の丘・山の上に築かれることが多いこの時代の城にしては珍しく、マーヂと呼ばれる赤土の粘土質の台地上に築かれています。
「あいかた積み」と呼ばれる技法で作られた独特の曲線を描いた長大な城壁や、沖縄で最も古いと言われるアーチ型の石門など、外観を楽しむことも出来ます。
基本情報
お問い合わせ先 読谷村立歴史民族資料館
住所 沖縄県中頭郡読谷村字座喜味708
電話番号 098-958-3141
FAX -
営業時間 0:00〜00:00
入場料 無料
定休日 -

三山時代随一の城作りの名手

尚巴志の三山統一に協力し、尚巴志の死後も琉球王朝の外戚として権勢を誇った、読谷山按司 護佐丸は、元々、座喜味城より北東側5キロの位置にある山田城を居城にしていました。しかし、1416年の尚巴志の北山制圧後、北への脅威が薄れたことから、数年間の今帰仁城滞在後、広大な領地と良港を持つ座喜味へと居城を移しました。
護佐丸(ごさまる)は、優れた築城家でもありました。座喜味城壁の独特な曲線と積み方は、土質との関係で、崩れにくい構造を維持しています。ここにあえて琉球石灰岩の上に築城しなかった理由があるのかもしれません。
また、城に攻め込まれた時に、曲がりくねった城壁の上から、場内への侵入を試みる敵に攻撃を加えられような構造をしており、2つある郭は、それぞれ頑丈なアーチ式石門でしか出入りできないようになっており、非常に防備に優れた城であると言えます。
同じように、正門をくぐったすぐ先を左に曲がると、一見城の奥深くへ導かれているように見える通路がありますが、奥に進むと、先は行き止まりになっています。観光に行ったことのある人であれば、間違えて進んだことが必ずあるのではないでしょうか。

後の居城である中城城とともに三山時代を代表する名城です。
この城の工事には、読谷山(ゆんたんざ)の領地内・近隣の者たちばかりでなく、喜界島、奄美大島、与論島、沖永良部島や、慶良間の島々からも工事の為の人夫が集められたそうです。こうした島々には、泣く子供に「護佐丸がちゅうんどう」(護佐丸が来るぞ)と言って、泣き止ませたという言い伝えがあるそうです。本島北部から奄美大島に至るまでの広大な領地に影響を持った、当時の護座丸の権勢がうかがえます。

観光

城の正門前には、歴史民族資料館や茅葺屋根の食料庫などがあり、古琉球に思いを馳せながら、長い時間かけてゆっくり周るのも面白いと思います。また、城の大手は広大な公園になっており、アップダウンの激しい散歩コースや海が一望出来る展望台など、ピクニック気分での行楽にも最適です。
キャンプシーズンになると、恩納村でキャンプする球団選手が多数自主練習していると噂も。。

座喜味城跡 座喜味城跡 座喜味城跡
茅葺屋根の高床式倉庫 城跡から望む座喜味の海 昔を伝える歌も多い
主なアクセス方法
1)お車の場合
那覇空港から58号線を北部向けに約60分
2)バスの場合
読谷線 28番 高志保バス停下車、徒歩15分
読谷線喜名経由 29番 座喜味バス停下車、徒歩10分
沖縄県中頭郡読谷村字座喜味708 (Sorry, this address cannot be resolved.)

コメント一覧

独特なお城だったんですねぇ〜。
しかもプロ野球選手が自主トレ!?

この場所どこかで見た事あるような・・・これって・・・ケツメイシのケツノポリスシリーズの
ジャケットと似てますけど・・・ジャケット撮影した場所ってここでしたっけ?
どなたか知ってましたら教えて下さい〜!

沖縄グスク郡世界遺産の中で、最大のアーチ門って世界遺産のパンフレットに書いてあったのですが、そんなに大きくはなかったです。でも随分昔の城跡なのにとてもキレイでした。この城跡も戦争に使われたんですね。それはちょっと悲しいです。

小学校低学年の時の遠足で行った思い出の場所でもあるな。城壁を歩いている時、下から男の子にスカートをのぞかれないように気をつけて歩いたのが懐かすぃ。
城跡は高台にあるので、夜景もきれいですよねー。

素晴らしい石積みです。ちょっと感動するぐらい整然としてます。アーチ式石門の素晴らしさは言うことなし!琉球史上最高の築城家、護佐丸が指揮をとっただけのことはあります。

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