袋中上人とエイサー

文化系コラム

袋中上人とエイサー

沖縄の伝統芸能として有名なエイサー。古くの由来は念仏踊りだと解釈されていますが、そのエイサーの原型を沖縄に伝えたのが袋中上人(たいちゅうしょうにん:メイン写真左)という人物です。


浄土宗の僧侶であった袋中上人は、福島県岩城市で生まれ若い頃から多くの著書を残す教養の深い僧侶でした。自身の寺を開いた後も中国(明)への留学のため、九州平戸(長崎)へ向かいました。貿易船に乗って出国する予定でした。しかし、当時、豊臣秀吉の朝鮮出兵による日中間の国交を閉ざされ入国を許可されませんでした。アジアを転々とし渡明を試みたものの幾度も失敗し、最後にたどり着いたのが、明との親交の深かった琉球です。やっとのことで琉球にたどり着いたものの、当時の国際情勢は、上人の渡明を許可しませんでした。やむを得ず、上人は琉球にとどまることとなったのです。


1603年から約3年間の琉球滞在中に、上人は浄土宗の布教に熱心に努められたそうです。当時の琉球国王尚寧王(トップ写真真ん中)は、上人に深く帰依し、上人のために桂林寺(現那覇松山公園周辺)を建立しました。上人は、そこから毎日首里城まで歩いて、国王に会いに行っていたとされています。尚寧王のみでなく、さつまいもや砂糖精製技術の普及・和紙や漆器など工芸品や発展などに貢献し、琉球の恩人と呼ばれた儀間真常も、上人に深く帰依し指定関係を結んだと言われています。


自然崇拝が根強い琉球に、『誰でも特別な修行なしに、ただ念仏をひたすらに唱えることによって救われる』という教えを説き、従来の難解な仏教に比べて上人の教えは簡易に表現されたため、庶民にまで広がりました。また、上人が踊った故郷福島の『じゃんがら念仏踊り』が、琉球の人々によって、三線と琉球民謡のリズムに仏教の言葉がのせられました。これが、今あるエイサーのはじまりだとされています。


袋中上人が琉球を離れる際、尚寧王はさぞかし悲しみ、上人へ漆器などの貴重な琉球宝物30点あまりを贈りました。また、3年間の滞在を『琉球国由来記』という著書にまとめ、当時の琉球の様子が伺える歴史書として、国指定重要文化資料に指定されています。


上人帰国後、琉球は薩摩藩に侵攻され、尚寧王は捕らわれの身となりました。実は、この薩摩侵略時に反撃体制を主張する役人もいた中にもかかわらず、あっさりと城を明け渡してしまった尚寧王の背景には、袋中上人が布教した、血を流さずして国民を救う事を説く仏教の教えを守り貫いたという事実もあります。尚寧王は、江戸へ送られる途中、京都で袋中上人と再会しています。その時、尚寧王から直筆の袋中上人肖像画(トップ写真左)を寄贈されています。その袋中上人肖像画には、『(抜粋)私は法を護りて師を奉げるために、師の像を描きました。師が桂林寺をお創りになられて以来、我が師と仰いでおります。』と書かれているように、袋中上人と尚寧王の親交の深さが伺えます。


寄贈された宝物は、袋中上人が帰国後に京都で開いたお寺、壇王法林寺において発見され、現在は京都府博物館に大切に保管されています。また、袋中上人が琉球で開いた桂林寺は戦争で消失してしまったものの、跡地とされている那覇市松山公園には記念碑が建てられています。


毎年夏になると、沖縄各地で当たり前のように踊られるエイサーですが、当時の琉球の人々にとっては貴重な踊りだったのでしょう。現在まで発展を続けたエイサーを、極楽浄土にいる袋中上人はどのように見ていらっしゃるのでしょうか。


袋中上人とエイサー 袋中上人とエイサー 袋中上人とエイサー
壇王法林寺で祭られている袋中上人成人の頃の木像。 壇王法林寺では常時関連写真が展示されている。 那覇市松山公園内にある袋中上人行化碑

コメント一覧

毎回楽しく読ませて頂いてます。
勉強になりますね。

「太宗寺」の件は、勘違いしていました。「成徳寺」を現在お守りされている住職様の息子様と言う事でした。上人さまの係累と思ったのは私の文の読み間違いです。

前回の袋中上人情報を修正します。ブログに載せるため調査中の情報から・・袋中上人は福島県いわき市常磐岩ヶ岡に1552年に誕生されました。7歳の時叔父が住職をしていた常磐西郷町「能満寺」にはいりました。(沖縄に大別荘をお持ちの大物タレントの奥様の実家も近かったりします。)その後いわき市平の「専称寺」、東京の「増上寺」(ちなみに上人は増上寺第36世住職で、大岡越前の江戸町火消しの本になった消防いろは四十八文字のシステム考案、累ヶ淵の悪霊退治の祐天上人の大叔父にあたります。)、栃木の足利学校などで学びました。その後29歳でいわき市から近い双葉郡(フタバスズキリュウのフタバ)広野町の「成徳寺」の13代住職になりました。で、確認はしてませんがこの寺出身の方?で上人の末裔の方が新宿2丁目「太宗寺」の御住職をなされているそうです。その後40歳で岩城平にこられ岩城貞隆の庇護の下48歳(1599年)の時「菩提院」を開基しました。その後岩城公の兄の佐竹義宣が関が原で西軍に加わった責で共に秋田へ転封され、52歳になった上人もかねてからの夢、中国へ渡るべく郷里を離れます。その後、フイリッピンなどを経由して沖縄へ渡りました。本土にもどった後は京都で「だん王法林寺」等の寺を建てて布教をし寛永16年(1639年)86歳でなくなられました。ちなみに念仏踊りは浄土宗の布教に切り離せないものらしく、雨乞い踊りを原型に田楽踊りや土着の踊りと融合して全国各地に色々な形態のものが見られまして香川県「滝宮の念仏踊り」がその原型とされているみたいです(調べるとさらにさかのぼりそうですが)。長崎県平戸「ジャンガラ念仏踊り」などもそうだと思います。ところで「じゃんがら」又は」「ジャンガラ」は鉦や太鼓の音から来ているとされていますが、個人的にですが念仏踊りが雨乞いに使われていたり、経典にでてくる「八大竜王」が雨乞いに深く関わっている事、そのなかの特に沙加羅竜王(しゃがらりゅうおう)が重んじられている事から「しゃがらの踊り」から来ている(だったら面白いかな)説を勝手に立ててみましたけど・・その内ブログに載せようかと思っています。(笑)

いわき市「フラガール」の舞台となったいわき市常磐湯本町の者です。自分のブログで、「じゃんがら念仏踊り」を取り上げた際に調べてから袋中上人には興味を持っておりました。何年か前にエイサー・じゃんがら念仏踊りの交流事業で、地元の湯本町から車で数分の上人生誕の地・西郷町にある「能満寺」などへエイサーの踊り手の方達もいらっしゃっていた様です(いけば良かったと今は後悔してますが)。関係者・興味のある方には知られていますが、これだけの人物にも関わらず、地元ではほとんど知られていません。その内に能満寺、若い頃修行したいわき市平の「専称寺」、京都に上って高名になって後、平で布教した「菩提院」などを取材したいと考えてます。

袋中上人の生まれた福島県いわき市の者です。

私達の住むいわき市でもエイサーと同じように「じゃんがら念仏踊り」の団体が100以上あり、今の時期は八月のお盆に備えて町のあちこちで練習の太鼓と鐘の音が聞こえてきます。

「エイサー」と「じゃんがら」、この兄弟が400年の時を超えた今でも互いの土地でリスペクトを受けていることに誇りを感じます。

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